先日テレビで、とある若手ピアニストが特集を組まれていた。番組内ではピアニストとその父親が食卓につくシーンが放映されていたのだが、両者の間で会話がない。ナレーションによると進路を巡った対立がきっかけで、会話が無くなってしまったらしい。これに限らず「会話をしなくなって数年間経つ夫婦」を追うドキュメンタリー番組を目にしたこともある。
家族間で「会話がなくなる」というパターンはマイノリティな存在だと考えていたが、これらの番組を観ると一概に言えないような気がしてくる。
中にはエスカレートしてしまい、互いに相手の顔など見たくもない関係にまで拗れてしまうこともあるだろう。それが夫婦関係であれば離婚となり、それが同じ血が流れる家族であれば絶縁となる。なるほど、決してありえなくはない話だ。
一方で世の中には早く仲直りしたいのにそれができない残念な人たちがいる。というのも私は同じ経験をした事があるのだ。
たった一人の妹と些細な喧嘩をきっかけに会話出来なくなってしまった時期が、数日レベルではなく数年レベルであった。
今日はそんなお話。
もくじ
自分以外の人間がいれば、喧嘩は仕方ないと思う。
喧嘩自体は悪くない。
5歳離れた姉妹。本来私たちはとても仲が良かった。
仲が良かった分、喧嘩も良くした。そんな中、タイトルのような状況を生み出す引き金となる喧嘩の内容は「私のプリンを食べた」レベルのくだらない物だった気がする。
気がする・・・というのも不思議なことに全く覚えがない。
特に兄弟・姉妹ともなれば喧嘩そのものはよくある事だし、そのもの自体絶対悪とは言い切れない。しかし、私の問題は仲直りのきっかけが見つからなくなってしまった事にあった。
仲直りのきっかけ作りが大切。
基本的に仲直りにはきっかけが必要になる。どちらかの譲歩だったり、謝罪だったり。話し合いの場を設けることもきっかけの一つだ。
普段の私達なら翌日にはそのきっかけが見つかり、いつもと変わらない笑いあって過ごす日々が続くはずだったのだがその時は違った。
その日から会話をしなくなり、数日たっても互いに意地で話をしなかった。当初はまさかそれが数年間にも及ぶとは夢にも思わなかった。本当は姉の私から譲歩すればよかったと心から思う。
会話が無い期間と仲直りの難易度は比例する。
これは愚かにも実体験により判った事なのだが、会話をしない期間が長くなれば長くなるほど、関係修復に必要となるきっかけがより大きいものでないと収拾不可能になる。何を話せばいいかわからなくなるし、会話をしようとすると変な汗をかいたりする。家族なのに緊張してしまう。
今となってみれば、当時思春期を悪いようにこじらせてしまったのも原因のひとつだったのかもしれない。しかも、思春期の呪縛から解けたとしても「話すきっかけが見つからない」という現状は鍋底の焦げのようにべったりと残り続ける。
関係修復のきっかけ
ある日、外出中の妹が部屋に置き忘れた財布を駅に持っていくように言われた。もちろん直接言われたのではなく、親を介しての依頼だ。
家にいた私が財布を外出中の親に渡し、外出中の親が外出中の妹に渡すというなんとも非効率な依頼である。嫌々ながら妹の部屋に入り洋服棚の上にある財布を持っていこうとしたときに、ふと妹の机に目が止まった。
そこには私と妹が二人で笑顔で写っている昔の写真が飾られてあり、見た瞬間から涙が止まらなかった。その後、この数年間が急に馬鹿らしくなって私は自分の手で妹に財布を届けに行った。
きっかけなんてそんなもんだ。
喧嘩中の相手と仲直りできないすべての方へ。
私の場合は幸いにしてこの出来事から関係が修復し、今に至る。
それからは二人で同居したり、今でも一緒に旅行に行ったりと失った数年間を埋めるようにしている。そんな妹は私よりも先にお嫁に行き、めでたいことに今では子供も生まれた。全く関係ないが姪っ子の結婚式は姉さんに任せろと、今お金を貯めている。
今もし、貴方が誰かと喧嘩をして会話をしなくなってしまっていたら一刻も早く話し合いの場を設けてほしい。恥ずかしい気持ちはわかるし、なんで私がきっかけ作らないといけないのだという憤りも痛いほどわかる。
しかし、会話をしない期間は早めに手を打たないと雪だるま式に伸びていく。数時間が数日となり、数日が数週間となり、数週間が数ヶ月となり、その数ヶ月が悔やんでも悔やみきれない数年間になるかもしれないのだ。そして相手が大切であれば大切である程、その後悔は自乗されていく。
―そしてこの記事を書いた時には、思いもしなかった展開が私たちを待っていた。